写経

写経03

「私は自分の組織の中では『出納係」の役についています。まあ、金の計算係のようなものですが……マフィアの場合は計理士がやるんですがね」
どちらにしろあまり変わらないように思える。
「はは…まあ、今じゃみんな『マフィア』で統一されてしまってますからねえ。麻薬マフィア、チャイニーズマフィア、ロシアンマフィア、密輸マフィア……でも、ナポリではカモッラが主流ですよ。我々はアメリカで派生した上にナポリとの直接的な関わりを持たない『はぐれ』なんですけどね」
その他にも色々な知識を披露してくれたが、私にはどうもピンとこないものばかりだった。日本で暴力団に会ったことすらない私だ。目の前に、カモッラだかマフィアだか………とにかく、裏社会に生きる人間がいるという実感が湧かなかったのだ。
「それも当然ですよ。ニューヨークの皆さんだって、マフィアに会ったことがある人間なんて1%もいないんじゃないですかね。無論直接的に被害にあった人もね。私がでしゃばりな性格をしていて、たまに貴方のような人に名乗ったりはしますが。私が声を掛けたのは、その1%の内の微々たる人数でしょうけど」
…本当に自分の運に泣けてくる話だ。
しかし、その時わたしは既に男の話術に引き込まれてしまっていた。なんというか、もう年来の知り合いと話をするような感覚になってきてしまうのだ。実際は、その時点で互いの名前すら知らなかったのだが。
「いや…実際にはもっといるのでしょうが、マフィアの存在を感じた人は滅多にその事実を口にはしませんからねえ……」
それは映画等で聞いた事がある。確か『沈黙の掟』ときあいう奴だったか、民衆は復讐を恐れて事件を見なかったふりをするという奴だ。
しかし…そうすると初対面の人間に組織の事を話すこいつは一体何なんだ?
「ハハ。まあ他の組織はともかく、うちはそれ程厳しくないってだけの話です。それ程大それた事もしちゃあいませんしね。……そもそも、シチリアのマフィアの場合は自分がマフィアの構成員だって事すら話やしませんが、カモッラや…一昔前のアメリカンマフィアもそうですが…この場合は、結構自分から名乗ったり…ボス自らが雑誌の取材にこたえたりしますからねえ」
目立ちたがり屋ってことか?そう聞いたら、一瞬沈黙した後、声をあげて笑いだした。
ひとしきり笑った後、男は私の顔を興味深そうに見つめながら口を開く。
「…よくもまあ、カモッラ本人の前でそういう事を言えますねえ…怖くは無いんですか?」
全然
「…もしかして、私がギャングスターだって事、疑ってます?」
全然。仮に嘘だとしても、わざわざカモッラなどと騙る必要性が解らない。
「……貴方は変わった人ですね……ポールの奴に聞いた時には、典型的なカモネギの日本人だと思ってたんですが」
大きなお世話だ。それにそこまで日本語に流暢なら、年上の人間にはちゃんと『さん』をつけろと言いたい。ポールさんってな。アメリカは年功序列が少ないといっても、年上に対すれ最低限の礼儀ぐらいはちゃんとある筈だぞ。…ガイドブックの受け売りだが。
この何気ない一言が、私の人生の歯車を狂わすスイッチになろうとは、その瞬間はまったく想像もつかなかった。
先刻よりも長い沈黙の後、男はクックと笑いながら呟いた。
「偶然ってのは…こう…面白いものですね……」
何を言っているのだろう? 私が困惑していると、男はまるで子供のような笑いを浮かべた。新しいおもちゃを見つけたような……、何か悪戯を仕掛ける直前のような、そんな笑顔をこちらに向ける。
そして、何かを言おうか言うまいか迷っているような素振りを見せた後、小声になって私に答えた。
「ポールは、私よりも年下ですよ」
はあ。………ん? ちょっと待て、今何て言った? さっきの警官はどうみても中年の峠を過ぎていたように思えるが。 ……あの警官、そんなに老け顔なのか?
「そうですね……さっきの話に戻りますが……この60年程の間に、だいたい百人程ですかね。私がカモッラだという事を名乗ったのは。もともと知っている人や警官は除いてですが……そもそも、今回みたいな事がないと、カタギの観光客と知り合う機会っていうのもないんですよ。ハハ」
私はその時、自分が聞き間違えたのだと思った。60年。目の前にいる青年は…私は白人の外見年齢はわからないが、どう見ても60歳の半分も満たないように思える。
不思議そうな顔をして見つめると、男は眼鏡をかけ直しながら照れくさそうに言った。
「いや、私ね、不老不死っていうんですか。死なないんですよ」
ほほう、アメリカンジョークという奴か。
「あ、信じていませんね。いや本当に、斬っても焼いても死なないんですよ」
アメリカンジョークはしつこいのが特徴らしい。
私が適当に相槌をうってやると、男もニコニコしたままーーーーーーーーーー
懐からナイフを取り出し、男自身の手に突き刺した。

『バッカーノ! エピローグ…1より』